さらべつ

僕が思い出せる最も古い記憶は更別村の風景だ。

更別村には幼稚園の年中組まで住んでいた。畑が地平線の先まで続いていてそこにアスファルトの道が1本通っているだけの風景だった。家の近くには消防署があった。兄は更別小学校に通っていて、なぜか私も「さらべーつ、さらべーつ、さらべーつしょーがっこー」という校歌を覚えている。よく母親に連れられて広尾線に乗って帯広に行ったものだった。私は帯広の病院で産まれたのだが、当時両親は大正町に住んでいて、その後更別村に引越ししたと聞いた。その頃怪獣映画「モスラ」を劇場に見に行った記憶があるのだが、調べてみると「モスラ」の公開は1961年、私が産まれたのは1970年だから計算があわない。当時「ミリンダ」という飲み物をよく飲んでいた記憶があるが、これは1964年から80年頃まで売っていたというので、記憶ちがいではないだろう。更別村には自動車の修理工場が一つだけあって、私はそこのむっちゃんという子供と仲良しだった。

更別村の農家は、一戸あたりの耕地面積が32.3ヘクタールという。全国平均が1.57ヘクタールなので、ぜんぜん規模が違うという事だ。

うんどうかい

昨日は、長男Tの学校の運動会だった。

とうとう私も子供の運動会に親として参加する年になったのだ。Tは、はりきっていた。リレーの選手に選ばれたからだ。私もOさんも運動は得意ではないのに、なぜかTはスポーツは何でも得意である。前日は雨だったのではたして運動会は行われるだろうかと思ったが、ちゃんと晴れた。行ってみると、そこはまさしく私の知っている運動会であった。短距離走があって、応援合戦があって、リレーがあって、玉入れがあって、父兄参加の綱引きがあって、大玉転がしがあって、ソーラン節があった。赤組と白組があって、Tは白組だったが、今年の総合優勝は赤組だった。今年でこの小学校は45回目の運動会という事だった。私もOさんもTも長女Sも、日焼けで真っ黒になった。だから今日は、腕と顔の皮膚がピリピリして痛いのである。

ようれんきん

ひどい目にあった。溶連菌感染症にかかったのだ。

溶連菌感染症 – Wikipedia

月曜日に熱が出てかぜかな?と思ったのだが一晩中熱が38度5分のまま下がらない。頭痛がひどい。関節も痛い。くしゃみや鼻水はない。妻もまったく同じ症状で寝こんでしまった。火曜日に2人で病院に行って見てもらったのだが、かぜではなくて溶連菌だった。2人ともふらふらの足取りで薬を受け取り、その場で1回目を飲んだ。抗生物質を一週間分と解熱剤等を2、3日分もらったのだが、火曜日の夕方にはだいぶ良くなっていた。腎臓に機能障害を起こす可能性があるとかで、3週間後に尿検査をすることになった。

溶連菌は普通子供がかかる病気なのだそうだが、我が家の2人の子供達はぴんぴんしていた。

まるなげ

愛媛県愛南町の全住民の個人情報が流出したそうだ。

全住民の情報流出、2万8千人約14万件に 愛媛・愛南

愛南町のホームページでも事情が説明されている。

愛南町の住民の個人情報の流出に関するお詫びとお知らせ

事件の流れとしては、

元請けが顧客に黙って仕事を下請けに発注→下請けが風呂敷残業→情報流出

という流れのようだ。システムを発注する側も、一次請けが「どの下請けに」「どんな仕事を」「いくらで」発注したかを逐次報告させたほうがいいと思うのだが、どんなものだろうか。

「intro」セッション(高田馬場)

6時頃、イントロに行く。前回行ったのが去年の12月で、その前が8月なので、だいたい半年に1回のペースだ。ウッドベースに触るのも半年ぶりだ。行ってみると、知ってる人がたくさん来ている。ピアノの宮部さん、ドラムの山岸さん、ベースの村山さん、ギターの北川さん。皆誰にも強制されていないのに好きで集まってくる。なんだか故郷に帰ってきたような気分だ。

私の1曲目はマスター井上さんのサックスで「It don’t mean a thing」。井上さんが適当に譜面集を開いたらこの曲があったのでこれになった。けっこうアップテンポで演奏したのでいいウォーミングアップになった。2曲目は私の知らないゆっくりした4ビートの曲で、譜面を渡されて初見で演奏した。比較的素直なコード進行の曲だったので、すぐに理解できた。初見の演奏は演奏が始まってしばらくしてやっとコード進行の意図が理解できるようになる事が多い。ひどい時は演奏がはじまってソロもとって最後のメロディーのところまで来てやっと曲が理解できたなんて事もあった。今日はベースの多い日だ。エレキベースが3人、ウッドベースが4人いる。私より年上は村山さんだけで、他のベーシストは皆私より年下だ。年をとったもんだね。今日はバイオリンの人が来ています。はじめて見る白髪のおじさんです。演奏はかなり上手でした。今日はどうやら見るだけの人はあんまり来ていないようです。イントロは演奏する人だけではなく見るだけの人も多く、日によっては客の半分が見るだけの人という事もあったりします。私の3曲目は男性ボーカルのどブルース演奏です。4曲目はテナーサックスで、「All the things you are」。右手の豆が破れ、左手の握力もなくなったので、9時に帰る。

れがしー

面白い小説がWebで連載されている。

小説:レガシー刷新への道

全13回でまだ2回までしか進んでいないが、期待大である。システム開発というものが、多くの場合社内政治抗争の産物である事を実感することができる。「小説」という形式をとることによって、通常の記事では描くことのできなかったある種の真実を描くことができるものと期待している。

あかちゃん2

ユーザー企業のシステム発注能力はますます低下しているらしい。

【Watcher】ユーザー企業で進む発注者能力の喪失、それでITは大丈夫?

システム発注能力というのは「適正な品質のシステムを適正な価格で調達する能力」だとすれば、現在進行しているのは「不適正な品質のシステムを不適正な価格で調達する」事だと言える。この記事をお書きになった東氏は「トラブルのリスクを抱え込むので、ITベンダーとしても、とても困った事態だ」という結論に至っているが、私の結論は正反対で、これこそITベンダーの望んだ事態だと言える。日本のITベンダーは伝統的に、顧客を赤ちゃん扱いすることで顧客の囲い込みとシステム価格の下落の阻止に成功している。もはや日本のユーザー企業は自分で安い海外企業へシステムを発注することすらできない半面、日本のITベンダーは受注したシステムを安い海外企業へ下請けに出してピンハネすることができる。作戦勝ちと言うべきだろう。

今日は長男Tの入学式だった。

Tが行く小学校は私の家から歩いて5分と近い。この学校は、選挙の時には投票所になるので、私は何度も行った事がある。10時に小学校に行った。Tのクラスは1年1組だ。近所のYちゃんや悪がき仲間のEくんとは違うクラスだった。この学校は1学年2クラスか3クラスしかなく、1クラスも30人しかいない。私が小学校の頃は、1クラス45人で1学年5クラスあった。私の住む近辺は古い住宅街で、いちおう東京都だが、再開発もなく、子供が少ないのだろう。入学式は校長先生の挨拶、PTA会長の挨拶、在校生の歓迎の出し物、記念撮影と恙無く進行した。坊主頭はクラスではTだけで、さっそく記念撮影の時に後ろの列の女の子に頭をさわられていた。Tの担任の先生は珍しい苗字のベテランの女の先生で、ほっとした。正直新米の先生ではTは手に負えないのではと思ったからだ。入学式で私の頃と違うなと思ったのは、新入生全員に防犯ブザーが配布され、親にも登下校時の防犯上の注意点を入念にレクチャーしていた事だ。Tはこの小学校の校庭が広いのが気に入った様子で、さっそく校庭を走り回っていた。校庭にはきれいな桜の木があったので、そこで記念撮影した。

にくまん

今日の夕食はOさんの作ってくれた肉まんだった。

日本の家庭では夕食が肉まんというのはありえないが、中国では普通にご飯のかわりにまんじゅうが出ることがある。しかも皮から作るのである。まんじゅうは、小麦粉を練ってイースト菌でふくらませて、具を入れてふかして作る。今日は寒かったので肉まんの半分がしぼんで小龍包みたいになってしまったが、おいしかった。肉まんは、黒酢をつけて生のニンニクをちびちび齧りながら食べるのである。黒酢は「鎮江香醋」というもので、これは中国人のやっている雑貨屋ならどこでも売っている。

中国人社会ではよく、餃子パーティーというのがある。みんなで集まってわいわい言いながら皮から餃子を作ってお茶を飲みながら会食する。北京人が言う餃子とは水餃子の事で、餃子を焼くのは日本独自の習慣だ。水餃子の皮は焼餃子の皮と違い、肉厚で食べ応えがある。普通男性は皮を延ばす役なのだが、皮を延ばせない私は日本人という事でゆるしてもらっている。会食をしている間は、子供は大人同士の話を聞くのはつまらないので、子供同士でどこかで遊んでいる。両親が中国人でもだいたい子供は日本語が第一言語になってしまうので、大人同士は中国語で、子供同士は日本語で話すのがいつものパターンだ。