舛添さんがWEに関して何か言っている。
asahi.com:「残業代出なかったら、さっさと帰る」舛添厚労相が持論
この人はなぜ世の中に「サービス残業」というものが存在するのか説明できないだろう。
i didn't know what time it was
今日は2回目のパパノババンドの練習の日だ。今日の練習場所は、町田109の7階の公民館の音楽室だ。駅の近くに車を駐車して、そこからベースに車輪を付けてごろごろと転がして練習場所に行く。練習は夜7時からだが、早めに行ってみると、もうギターの人が来ていた。このバンドはリーダーのトロンボーンのEさん、ギター、そしてベースの私の3人なのだが、Eさんとギターの人は子供が同じ保育園に通っていたつながりで、Eさんと私は子供が同じ中国語学校に通っているつながりで知り合った。
7時にEさんが来て練習開始。先週と同じ「イパネマの娘」「おいしい水」「Wave」「オリビアを聴きながら」に加えて「青い山脈」を練習する。「オリビアを聞きながら」にはフルートが入るそうだが、一緒に練習する時間がとれないとのことで、本番当日にあわせることになった。
本番は一週間後なので、場所や時間、服装、入館についての説明を受けた。我々の持ち時間は20分とのこと。全曲やるのは無理でないかい?
今頃になってこっそり目立たないように公表したつもりなんだろうか。
asahi.com: 年金の横領、3億4千万円 社保庁・市町村で99件
あーやっぱりという感じだ。日本の人口が1億人しかいないのに不注意だけで5000万件の年金記録が消えるわけないと思った。3億円4千万円という数字も社保庁の発表だけに、疑問のある金額だ。
昨日、海へ行った。
家族4人で江ノ島の海水浴場へ行った。小田急線各駅停車に乗って片瀬江ノ島駅まで行くと、多くの若者や家族連れでにぎわっていた。暑くて日差しの強い日だった。初めての海水浴場に長男Tも長女Sも興奮していた。私もずいぶん久しぶりの海水浴だが、前に行ったのが何時だか思い出せない。妻の薦めで私も妻も水着にTシャツといういでたちで海で遊んだ。日焼けで苦しむのを防ぐためだ。子供達は寄せては返す波のなかで遊ぶのが面白くて仕方ないらしかった。そろそろ帰るよと言ってももっと遊びたいとねだっていたが、帰りの電車に乗ると気絶するように眠った。皆日焼けで顔が赤くなっていた。
家へ帰ると、北海道のばーちゃんからの野菜がたくさん届いたので、とうもろこしを煮て食べた。
今日は長男Tを歯医者に連れて行った。
先日Tが歯が痛いと言い出したので歯医者に連れて行き、虫歯を削った。今日はそこへ金属のカタマリをはめ込む日なのだ。玉川学園の駅前にある「歯科 学園クリニック」という所で、子供扱いの上手なイケメン歯科二人がやっている歯医者だ。長男Tは特に怖がりもせず、素直に治療を受けていた。肝が据わった奴だなと思った。
今日は水泳教室の日なので、そのまま車で送って行って久しぶりにTの泳ぎを見ていた。最初にボビングを25m、バタ足を25m、クロールを50mほど、平泳ぎを25mほど、背泳ぎを25mほどやった。これがウォーミングアップらしく、その後今日の課題のバタフライを始めた。先生がまず手を使わないバタフライらしき泳ぎ方を見せ、その後生徒たちがその泳ぎ方で25m泳ぐ。次に先生がまた違う泳ぎ方を見せ、その後生徒たちがその泳ぎ方で25m泳ぐ。こんな調子で1時間泳いでいた。よく疲れないものだと思った。
長男Tを水泳教室に連れて行こうと思ったのは2歳か3歳ごろだったと思う。「親子水泳教室」というやつだった。親と赤ちゃんがプールに一緒に入って色んな事をする教室だった。小さい頃から暴れん坊でエネルギーが有り余っていたTは水泳教室を気に入ったようだった。特に辞めたいとも言わないので今に至るまで通わせている。
ちなみに私は、クロールでは息継ぎができない。
今日、食あたりした。
昨日の晩作った炒飯を冷蔵庫に入れずにおいて置いて、今朝食べたのだが、みごとに当たってしまった。大丈夫かどうかわからなかったので、子供達には食べさせなかったのは幸いだった。10時ごろゲーゲー吐いて、それから下痢した。「水状」のものでなく完全に「水」が出てきた。これはまずいなと思い、すぐ近所の内科に行った。
抗生物質、整腸剤、吐き気止めをもらった。当分は炭水化物中心の軽い食事を取るように言われた。この病院はいちおう内科だが、老人がおおいこの地域の「かかりつけ医」のような存在で、診察は午前中だけ、午後はずっと往診である。私より若い慶応出の開業医だが、目の付け所がいいと思う。
そういえば、昔アメリカのテキサス州ダラスに長期出張していた時に持病が悪化した事があった。アメリカでは、病人はまず何でも診る「かかりつけ医」に診てもらい、手に負えなければ専門医を紹介するというシステムだった。私がそのとき診てもらったかかりつけ医は、中東系の腕に刺青をした若い女性の医者だった。彼女に処方箋を書いてもらい、薬局へ行って薬を出してもらった。会社が用意してくれた海外でも使える民間保険のカードを持っていたが、日本で通院していた病気が悪化した事態にはこの保険は使えないと言われてしまったので、実費で払った。1万円ちょっとぐらいだったように思う。「身分証明証を見せて頂戴」と黒人の受付のおねーちゃんに言われて国際運転免許を見せたら「こんなのあるんだ。はじめて見たわ」とたいそう驚いた様子だった。
この時役にたったのがJCBの付いたカードだった。今でも同じサービスをしているのかわからないが、海外主要都市にはJCBのヘルプデスクがあって、日本人が日本語でカード所有者をサポートしてくれた。それまで海外で医者にかかったことがなかったので、どうしたらいいかはJCBヘルプデスクに教えてもらった。ダラスの隣町のフォートワースへ行けば日本語が通じる医者がいるという事も教えてもらったが、そこまで行くのは遠かったので、結局一番近い医者を教えてもらった。今となってはいい思い出である。