大人のサッカー教室

息子のサッカークラブで保護者向けの「大人のサッカー教室」が開かれていたので、行ってきた。

実は自分は運動は大の苦手だ。小学中学通して体育の評価が5段階評価で最高「2」だったぐらい苦手だ。明日がマラソン大会という日には何か非常事態がおこってマラソン大会が中止になって欲しいと毎年願うような子供だった。

来週土曜日に「親子サッカー」というのがあって、小学生チームと大人チームが対戦するのだ。あまりに不甲斐ない父ちゃんじゃあ可哀想なので練習しなければと思って参加した。やっぱりけっこうきつい。練習試合が始まって数分で思ったように足が前に出なくなり、転倒するようになる。たった一時間のサッカー教室だったが、明日は筋肉痛確定だ。ひざも擦りむいて痛い。

目標は子供チームに勝つことだ。

親子で楽しむ電子工作教室 in マルツメイク館

日曜日に、息子と「親子で楽しむ電子工作教室 in マルツメイク館」に行ってきた。

http://www.denkomagazine.net/kousaku/1106/marutsu_make/

マルツエレック主催、電波新聞社共催、白光富士通乾電池協賛で、場所は秋葉原のマルツエレック本社です。

行ってみると、4つのテーブルに別れて15組の親子が来ていました。小さい子は小2くらい、大きい子はそれでも小6くらいです。女の子も1/4くらいいます。

最初は、半田ごてメーカーの白光の先生によるハンダ付け講習と簡単な練習。

ハンダ付け講習

 

よいハンダ付けはどういうハンダ付けか、どうやればよい半田付けができるのかを勉強しました。

今日の題材は、AM/FMラジオです。ただし、市販のAM/FMラジオキットを改造して太陽光で動作するようにします。キットと太陽光モジュールをもらい、先生に改造方法を解説してもらって作っていきます。

午後1時にスタートして午後4時までに終了めざして皆真剣なまなざしで作っています。息子のラジオも完成したので、スイッチを入れてみたが鳴りません。

先生にも見てもらいました。ハンダ付けは問題ない。部品も間違っていない。電圧も測ってみたけど、キットの説明書のチェック項目にあるとおりの電圧が出ています。そうこうしているうちに4時になってしまいました。終了時間なので、全員で写真をとって終了です。周りはみんな完成したラジオを手にしています。なぜラジオが鳴らないんだろう?先生も何がおかしいのか真剣に調べています。

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ついに、原因がわかりました。ラジオキットはICの類の部品は最初から基板に付いた状態だったのですが、息子がもらったキットだけ、ICの向きが逆になっていたのです。

ここからがすごかったです。電子工作の先生と白光の半田付けの先生が、プロのテクニックであっという間にICを基板からはがし、正しい向きで再度半田付けして取り付けました。もちろんこれでラジオは鳴るようになりました。

思わぬハプニングでしたが、めったに見れないものが見れてよかったです。参加賞としてマルツのロゴ入りメジャーとHAKKOのロゴ入りボールペンという何ともマニアックなグッズもいただいて息子は楽しそうでした。

運動会

土曜日は子供達の小学校の運動会だった。

今年の運動会はいつもとちょっと違う。私の実家からじーちゃんとばーちゃんが運動会を見に来たのだ。幸い天気も良く子供達も張り切って徒競走や集団ダンスなどをしていた。じーちゃんもばーちゃんも子供達の運動会をじかに見るのは初めてだ。

運動会を見ながら、ほとんど忘れていた自分の子供の頃の運動会の様子をばーちゃんとの会話のなかで思い出した。

昔だからそうだったのか北海道だからそうだったのかわからないが、今目の前で見ている運動会とはずいぶん違う事が多かった。まず観戦者は親だけでなく親戚もたくさん来ていた。しかも観戦しながらお酒まで飲む人もいた。お昼ごはんのお弁当は重箱に入れた無意味に豪華なものを作っていた。少しはなれた所に出店まであった。まったくお祭りのようだった。

子供の運動会が終わると本部テントの片付けやグラウンドの杭抜き、サッカーゴールの移動を手伝ったりした。例年サッカークラブの父母は運動会の片付けを手伝うのである。子供達はずいぶん日焼けした。

荒川氏の事

ACCESSの荒川氏が2009年にお亡くなりになっていたのを今知った。

ACCESSの荒川亨会長が死去 – ITMedia News

自分がACCESSにいた頃はちょうどiMode携帯が出る前の頃、組み込みTCP/IPスタックのAVE-TCPを出したりインターネットテレビを作っていた頃だった。ハードワークが当たり前のIT業界でも見たことのないような想像を絶するハードワークを要求する会社だった。社長の荒川氏とは稀にしかお話をする機会はなかったのだが、ハードな要求をするハードな方でした。

ご冥福をお祈りします。

MASSI総会

今年も私の所属するMASSI(NPO法人 ソフトウェア振興会)の総会の季節がやってきました。

NPO法人ソフトウェア振興会

場所はいつものホテルラポール千寿閣。理事の一人がお亡くなりになったため、理事改選の議題があったほかは特にこれといった議題はありませんでした。

総会の後は隣の部屋へ移って懇親会。タワーズ・クエストの和田さんや社会保険労務士森事務所の森さんと色々と話をする。

3月11日

忘れないうちに3月11日のことを書いておこう。

3月11日(金)は家で仕事をしていた。その時間(2時45分頃?)は二階で作業をしていた。地震でぐらぐら揺れだしたが揺れは大きくなく、最初はよくある地震だと感じていた。揺れが収まらずだんだん揺れが大きくなり、これはちょっといつもと違うぞと思って裸足のまま家の外へ逃げた。ご近所さんも外へでており、顔を見合わせて「大きな揺れですね」と声をかけあった。

揺れが止まり、家のなかへ入るといろいろなものが散乱していた。幸い本棚や食器棚が倒れたりはしていなかった。カメを飼っている水槽の水が半分くらい床に落ちていたが、カメはちゃんと水槽のなかにいた。どうしたものかと呆然としていると、ドアがトントントンとノックされた。小1の娘の同級生のNちゃんのお母さんだった。

「学校に迎えに行きませんか?」と言われ、そうだ、迎えに行かなきゃと思った。家のインターホンが鳴らなかったと言われ、そのとき初めて停電していることに気がついた。二人で小学校へ歩く道々余震があってまた揺れていた。小学校に着くと全校生徒がグラウンドに退避しており、保護者も何人か迎えに来ていた。先生と二言三言話をし、地震が収まったようなので小4の長男はランドセルを取りにもどって自分で帰宅、小1の娘はさよならの挨拶の後だった事もあって帰宅準備ができている状態なので私とNちゃんとNちゃんママと集団で下校することになった。

家へ帰ってからも余震が怖かったので、私と子供達はしばらく家の外で様子見状態だった。電池で聞こえるラジオがあったので、外でずっとラジオを聞いていた。電話は不通状態だったが、かろうじて携帯メールが使える時があり、私と子供達が無事である事を仕事場の妻と北海道の実家にメールした。ラジオはずっと震災のニュースを流していたのでどういう状態なのか把握でき、おかげでパニックにはならなかった。だんだんと日が暮れ、寒くなってきたので家へ入った。

夕暮れ家のなかは暗かったので懐中電灯を一本だけつけ、3人でこたつに入ってラジオを聞いていた。電気とガスは止まっていたが、水道は止まっていなかったのでとりあえず鍋と風呂に水をためて断水に備えた。棚から菓子類を出して3人でポリポリと食べていた。夕飯をどうしようかと思ったが家で料理は作れない状態だったので3人で駅前に行ってみることにした。

街灯も消えて駅前までの道は暗かった。余震で壁が倒れてくることを気にしながら駅前まで行ってみると、そこは停電していなかった。牛丼屋もフツーに営業していたので3人で牛丼を食べたが、よく考えると電車は止まっており、牛丼屋のアルバイト店員は交代しないままずっと働いている様子だった。客はたしかに多かったが外に列をつくるほどではなく、案外普通の日のような様子だった。ご飯のあと近くのスーパーに寄ってみると見事に乾電池と懐中電灯が売り切れていた。帰り道家に近づくとやっぱり停電で街灯がないため暗く、そのぶん星空がきれいに見えて普段なら見えないオリオン座の小さな星まで見えた。

電車が動かないため、妻は帰宅をあきらめて職場近くに住む友人宅に泊まることにした。私と子供達は相変わらず暗くて寒い家のなかで懐中電灯一本つけ菓子類をポリポリと食べながらラジオを聞いていた。9時近くなりそろそろ寝るかと思ったとき電気が復活した。このときはじめてテレビで地震と津波の映像を見ることができ、改めてとんでもない事になったと思った。子供達を先に寝かせ、私はずっとテレビとネットで事態の把握に務めた。

固定電話や光回線のネット、携帯電話、WiMAXはどれもだめだったが、携帯メールはたまにつながる時があり、PHSは問題なくつながった。PHSでPCをネットに接続するとFacebookで関西や海外の友人達が非常に心配している様子だったので、私と家族は大丈夫と書込みした。またGoogleのPerson Finderというサイトがすでに立ち上がっていたので、そこに私と家族は無事でここにいるとステータスを登録しておいた。

ここまでが3月11日の出来事。

はんだづけカフェ

息子と娘をつれて秋葉原へ行ってきた。

息子は最近毎週のように秋葉原に来て秋月電子通商で電子工作キットを買ってはんだづけカフェで作っている。

はんだづけカフェ

娘もそれを見て作りたいと言い出したので、マルツで子供向けのキット「はこぴか」を買ってはんだづけカフェで作ることにした。

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ここではUstreamでずっと生中継で店内の様子を配信している。息子は「常連の少年」と噂になっているようだった。

息子はLEDで文字がスクロールする時計を作っていたのだが、熱で三端子レギュレータがだめになり、カフェのスタッフの話では付属の12V電源がだめなのではないかという話だった。キットを持って秋月に行き、聞いてみると電源の接続の仕方が間違っていた事がわかり、無事動くようになった。秋月のお店のおじさんは「これ、本当に君が作ったの?」と驚いた様子だった。

確定申告

今年も確定申告の季節がやってきた。去年からe-taxで申告しているので税務署に行かずにネットから申告である。

子供が寝静まって10時頃から申告作業をはじめ、2時間ちょっとで申告が終わる。開業費の償却の仕方が思い出せず苦労したが、大方は問題なくスムーズに申告できた。相変わらず複雑だが税制というものはどこの国でも複雑なので仕方がない。

お年玉

新年が開けて、長男がお年玉を握りしめて行ったのは町田のパーツショップ「サトー電気」だった。

長男は電子工作マニアで、何を作りたいのか聞くと「DC安定化電源が作りたい」とのこと。なんともマニアックである。「電子工作大全集」みたいな分厚い本を持ってサトー電気へ行き、本の部品表に載っている部品一式(3000円くらい)を買ってきた。「トヨデンのトランスが」とか私に聞かれてももう私にはついていけないレベルである。サトー電気の人やはんだづけカフェスイッチサイエンスの人にいろんな質問をしてまわって相当勉強したらしい。

部品を買って家に変えると早速作り始めた。

DC安定化電源作成中

家庭用交流電源を直流電源に変換すること自体はうまくいったらしい。細かい動きがおかしいのでテスターを色々なところに当てていたらショートしてしまったらしく、ヒューズ菅が1本だめになってしまった。サトー電気の人の薦めでヒューズ菅は2本買っていたのだが、2本目が見つからず今日の作業はここで一旦終了である。