がいし

私がいた外資系企業のことを書いておこう。

私はその会社に5年間いた。それは私の人生で最長記録だった。なぜその会社に5年間いたかというと、風通しが良かった、上司に恵まれたというのもあるが、ひとつの会社に3年以上いないと住宅ローンを組めないという銀行の理不尽な理由からだった。もちろん3年目には住宅を買った。

その会社に入ってすぐ、本社のあるアメリカのダラスで研修を受けた。長男Tが生まれて3ヶ月の時だった。3ヶ月いる予定だったが、生まれたばかりの長男Tが恋しくて2ヶ月で日本に返してもらった。日本支社の社長は、私のいた5年間で3回変わり、計4人の社長のもとで働いた。ある社長は100人に満たない日本支社を5年で500人にするという計画をぶちあげて、200人になったところで辞めた。次の社長はリストラだといってそれを50人にした。生産計画ソフトを売っている会社だったが、無計画な会社だった。私が辞めたあと、また社長がかわったという話をニュースで知った。私はその会社でコンサルタントという肩書きで働いた。開発拠点がインドにあるので、ダラスやインドに電話するため不規則な生活を送った。約束を平気でやぶるインド人に憤る一方、超人的に仕事ができるインド人にも感嘆した。入社してまもなく、Tという会社にソフトを導入するプロジェクトに参加したが、私が会社を辞める頃にはそのときの同僚はほとんど先に辞めていた。外資系企業というのはこういうものなのかなと思ったが、結局私は4社の外資系企業で働いたのだった。

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