ぶろっく

今日、遅ればせながらばーちゃんより長男Tへの誕生日プレゼントとしてお金を送ってきた。

これで何かおもちゃを買いなさい、という事だった。私は家で仕事だったので、妻と子供二人でおもちゃ屋に行った。買ってきたのは、レゴブロックとデルタックスという子供向けのねじと部品で組み立てができるおもちゃだった。両方とも、私が子供の頃遊んだものだった。長男Tは特にレゴブロックが気に入ったようだった。Tは、3時間かけて、設計書を見ながら、一人で、みごとなバイクを作った。私も妻もとても喜んだ。

いしす

何気なく「isis」を検索したら友達が出てきた。

M君はI小学校からの同窓で、M中学校まで知り合いだった。クラスのなかでも目立つ存在で、体育も得意だった。M君のお父さんはMそろばん塾というのをやっていて、けっこうはやっていた。

その後、M君は地元でも中堅のK高校に行って、その後上京し、4人組のロックバンドを組んでデビューした。レコード会社数社による争奪戦の末、エピック史上初のアルバム7契約でメジャーデビューした。はじめはうまくいっていた。サイダーのCMに曲が採用されたり、渡部美里に曲を提供したりした。しかし、バンドはアルバム2枚を出したところで解散。その後はソロで弾き語りをした。

今は何をやっているのかわからないが、音楽業界で生き残っていることを祈っている。

Oさん

私の妻は中国人だ。

Oさんとは、ある業務システム開発プロジェクトで知り合った。当時私は自営業のプログラマーをやっていて、Oさんも他社から派遣されたプログラマーだった。プロジェクトは1年以上続き、私とOさんはつきあうようになった。私は特別中国人が好きというわけではなかった。Oさんとつきあう前は、日本人とつきあっていた。私たちは結婚した。Oさんは中国籍のままなので、結果的に夫婦別姓となった。子供が2人生まれたが、2人とも日本籍を取り、私の苗字を名乗った。2人とも結果的にハーフなのだが、普段ハーフであることを意識することはない。Oさんは中国人なので、もちろん日本人の考え方と違うところがある。私もOさんも、互いの違いを尊重するので、特に私たちの関係が悪くなるという事はない。もちろん喧嘩は時にするが、お互い落とし所を探って決着させるので、後にひく事はない。私は、昔から「Oさん」と呼んでいて、今もそう呼んでいるが、Oさんは私のことを「おとうさん」と呼ぶ。

やきょうしょう

長男のTが、夜驚症らしい。

最近長男のTが、夜寝てから1時間後くらいに立ち上がってわんわん走りながら泣き叫ぶ、という症状が何度か出ました。心配だったので小児科に連れて行って見てもらうと、それは、夜驚症という睡眠障害で、6~12歳の男の子供によく発生するもので、治療が必要な病気などではなく、ほっておけば自然に治るそうです。安心しました。

けち

はっきり言って、私はけちです。

私は昔から無駄な事には極力お金を使わないたちで、私の妻も無駄なお金は使わない点では一致しています。テレビは、引っ越す隣人からもらったもので、NECのパラボーラというやつなので、だいぶ古いやつです。洗濯機は、結婚する前から妻が持っていたものをいまだに使っています。冷蔵庫は、結婚時に買ったものを今でも使っています。車は、1代目は友人からタダでもらったもので、2代目(今の)は5年ほど乗っていますが、まだまだ乗るつもりです。保険は、掛け捨てのガン保険+医療保険+死亡保障の夫婦型タイプですが、月7千円です。携帯は夫婦でウィルコムを使っているので、2人分で月6千円です。海外旅行は、妻の実家の北京以外はめったに行かないし、北京への飛行機代は、北海道に行くよりも安いです。新聞は取っていませんが、毎朝マーケットが開く前に、ネットで日経、朝日、毎日、2ちゃんねるをチェックしているので不自由は感じません。ネット回線はNTTの光ですが、電話も光電話にしてしまったので、NTTには毎月5500円ほどしか払っていません。

例外は、住宅ローンの繰り上げ返済で、これは積極的に払っています。今は家を買った値段の半分までローンを返済しました。あとは長男の水泳教室代で、これはなかなかいいので下の子も水泳教室に入れようと思っています。あと例外はタバコ代ですね。これはどうにもやめられなくて困っています。

じゃず

私とジャズとの付き合いは、大学時代にさかのぼる。

私がはじめてジャズに接したのは、大学に入ってジャズ研に入部してからのことだ。それまでまったく楽器もやったことなかったのに、ジャズ研に入ったのはなぜかというと、女の子にもてそうだという単純な理由だった。事実、ジャズ研に入ってから女の子に交際を申し込んだが、簡単に断られてしまった。しまった、軽音部に行くんだったと思ったが後の祭りだった。

白紙の状態からジャズをスタートしたわけだが、楽器はベースをやることになった。理由は、ベースが足りないからベースをやれと先輩に命令されたからだ。どこのジャズ研でもベースは足りない。いちばん目立たないからだ。

不純な目的ではじめたジャズだったが、次第にモダンジャズの面白さにのめりこんでいき、女の子なんてどうでもよくなってしまった。ジャズ研で演奏するほか、プロのトラでススキノで演奏したり、プロバンドでレギュラーをもらったりした。大学のほうは次第に行かなくなり、3年生のときは1年も行かなかったが、これではまずいと思い、4年生で2年分の単位をとってきっちり4年で卒業した。

それから10年以上経ったが、今でも私は都内のジャムセッションに時々出かけてベースの演奏を楽しんでいる。

はなび

今日は、家族で花火大会を見に行った。

今日は、江ノ島で花火大会がある。去年は、私はサラリーマンだったので、平日の夜やるこの花火大会には行けず、妻と子供だけで行ってきた。今年は、家族全員で見に行ける。小田急江ノ島線で行った。

花火大会はきれいだった。花火好きの子供達も喜んでいた。来客は若いにーちゃんねーちゃんが多く、浴衣を着ている人も多かった。

花火大会が終わって、みな一斉に帰る頃、私は意外な光景を目にした。茶髪のにーちゃんねーちゃんがみな整然と指示にしたがってゆっくりと流れに乗って順番に帰っているのだった。花火大会中も、タバコを吸う人はいなかったし、きちんと列を作って順番にトイレを使用しているのだった。

かえって、ところかまわずタバコを吸ったり、ゆっくりとした流れに乗らずに自分だけむりくり人を押しのけて帰ろうとするのは、団塊の世代らしきおじさんだった。今の若者は、見た目はともかく、マナーは非常に良いのではないかと思った。